髪の毛

皆さんはアントニオ・コンテという人物をご存知だろうか。彼は元イタリア代表のサッカー選手で、現役を退いてからは監督として様々なクラブでその辣腕を振るい、イタリア代表監督を務めたこともある。

 

彼は現役時代、どちらかと言えば“縁の下の力持ち”の役割を担っていた。サッカーに興味がなかったり、詳しくない方でもジネディーヌ・ジダンやロベルト・バッジョ、デルピエロやトッティといったかつてのスター選手の名前を一度くらいは耳にした覚えがあると思う。コンテはそうした名選手達とクラブチームや代表チームで共にプレーをし、俳優で例えればモーガン・フリーマンや日本人なら香川照之のように、脇役を演じながらも時に主役を食うほどの存在感を発揮するような選手だった。

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ご覧の通りの風貌も相まって、泥臭くもチームに欠かせない存在の選手だった。

 

そんな彼が現役を退いてから数年後、監督として表舞台に戻ってきた。僕はその時のインパクトをいまだに忘れられずにいる。

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開いた口が塞がらなかった。髪の毛がフッサフサになって帰ってきたのだ。そして心なしか、顔つきも現役時代よりも精悍に見える。

確かに男前になって表舞台に戻ってきたとは思うが、現役時代のまるで志村けん扮する“変なおじさん”の様な風貌がプレースタイルとマッチしていたと考えていた僕にとっては、とてもショッキングだった。 

僕がその変化に気付くくらいなので、多くのサッカーファンや関係者の間でも広く知られることとなり、彼は現役時代、長くユヴェントスでプレーしていたこともあって、特にアンチ・ユーヴェがかなりその風貌の変化を揶揄した。

 

ルカ・トニという選手がいた。素晴らしい選手で、2006年にイタリアがワールドカップを優勝した時の代表選手のひとりでもあった。

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彼はストライカーで、得点を決めると写真のように右手で耳の周りをくるくると回すのが定番となっていた。

ある時、彼は所属チーム(ユヴェントス)を戦力外になった。お払い箱にしたのは新しい監督、そう、コンテだったのだ。そしてトニもこのままでは終わらなかった。“俺をクビにしたことを後悔させてやる”と言わんばかりに新しい所属先で得点を量産した。

そして迎えたユヴェントス戦、トニはかつて自分をクビにした指揮官の前でゴールを決めると、件のゴールパフォーマンスではなく

『俺の髪の毛はホンモノだぜ』

と見せつせる様に、両手で髪の毛を掻き分けるジェスチャーをしたのだ。これは明らかにコンテに向けてのものだった。コンテが苦い表情を浮かべていたのは、言うまでもないだろう。

 

 

僕も男なので将来的に薄毛になってしまうかもしれないし、禿げたら嫌だなぁ、と思うこともあるが、かつらをかぶったり植毛はきっとしないと思う。そのまま流れに身を委ねるか、いっそのことキレイに剃り上げるかもしれない。あるいは、肩に小鳥でも乗せてそちらに周囲の目がいく様に仕向けるのも有りかもしれない。

 

僕が日本で働いていた頃、勤めていた会社に誰の目にも明らかな“かぶりもの”をした人がいて、そこそこ上の地位にいる人だった。ある日、職場の同僚たちとの飲み会で近くの居酒屋に入店すると、会社のお偉方も偶然いて、その中のひとりにその“かぶりもの”をした人もいた。

お偉方と僕たちとは離れた場所で飲んでいた。そして、一足先にお偉方が帰って行く際によほど楽しいひと時を過ごせたのか、僕たちの飲食代も出してくれることとなった。当然、僕たちはお礼を言ったのだが、一緒に飲んでいた僕の直属の上司がこう言ったのである。

「〇〇さん、ズラかぶってるって本当ですか?」

“恩を仇で返す”とはまさにこのことだろう。その場にいた僕の上司以外の全員が凍りつき、しばし重たい空気が漂った。そのお偉方と“かぶりもの”をした人は何とも形容し難い、複雑な表情をしながらお店を去っていった。上司はお酒が入り、かなり気が大きくなっていたのだろう。まるで鬼の首でも獲ったかの如き得意げな表情でさらに酒をすすめた。まだ若かった僕はこの時“世の中には決して口にしてはいけない真実もある”ことを学習した。

 

イタリアでの生活を始めて数ヶ月後、僕は中古の自転車を買った。その自転車には購入当初、カゴと警笛(ベル)が付いておらず、イタリア人の友人が自転車屋を営んでいる友人がいるので紹介する、と言ってくれたので一緒にその自転車屋に行くことになった。

その自転車屋は僕の住んでいる家から自転車で2〜3分で着くくらいの近場にあった。友人から店主を紹介されると、真っ先に店主のある部分に僕の目は向いた。そう、その店主もまた“かぶりもの”を身につけていたのだ。誰もが真っ先にその“かぶりもの”に目がいくと言っても過言でない程の明白な“偽物”を、彼はかぶっていたのだ。

店主は手際よくちゃっちゃと僕の自転車にカゴとベルを設置すると、僕の友人と雑談を始めた。僕は終始、店主の“かぶりもの”が気になって仕方がなかった。

『(僕の友人は)彼の髪型についてどう思っているのか?』

『その件に言及したことはあるのか?』

『まさか彼の“かぶりもの”を気付いていないのか?』

そんないくつものクエスチョンマークが頭の中でぐるぐると回りながら、イタリア人の雑談を眺めていた。後日、友人に彼の“かぶりもの”の件を問うと

『それは聞いてくれるな』

という眼と苦笑いで、話を濁した。

 

ある日、僕は自転車のタイヤの空気があまいことに気が付いた。昼食前の自宅への帰り際だったので、帰宅前に件の自転車屋に寄ってから帰ることにした。自転車屋に到着し

「すみません、タイヤの空気があまいので空気入れをお借りしたいのですが...」

僕が店主に尋ねると、店主は不機嫌そうに

「こっちはこれから昼食なんだよ!!後で来いッ!後で!!」

僕はカチン、ときた。パンクを直して欲しいと頼んでいる訳ではなければ、空気を入れて欲しい、と言っている訳でもないのだ。空気入れさえ貸してもらえたら自分で入れようと思っていたのだ。

「ほら帰れっ!3時過ぎにまた開くから!!」

全く聞く耳を持たない店主に僕は日本語で

「何だよ、ズラ!」

そう捨て台詞を吐いて、空気のあまい自転車に乗って帰って行った。

 

しばらくして、僕は後悔した。数年前にかつての上司が吐いた“決して口にしてはいけない真実”を、今度は僕が言ってしまったのだ。

『あの時、学習したはずなのに...』

そう反省し、自分の非を悔いた。せめて、トニのように皮肉を効かせたジェスチャーにしておけば、とも思った。後日、友人にそのやりとりを一部始終話すと、再び苦笑いを浮かべた。

 

その後、時々街中で店主を見掛けることがある。一際目立つ“かぶりもの”をしながら自転車に乗っているのをよく見掛けるのだ。近くをすれ違ったこともあるが、彼は僕に気付くそぶりは見せないので、多分、僕のことなど覚えていないのだろう。そもそも、僕の吐いた暴言の意味も知らないのだろう。

 

僕は無宗教の無神論者だが、良い行いをすれば良い報いがあり悪いことをしたらバチが当たる、といった類のことは割と信じるほうだ。

時々シャワーを浴びている時に抜け毛が多いと

『ついに報いを受ける時が来たか...』

と思う時がある。

僕が将来、髪が薄くなったとしたら、それはこの件でバチが当たったということなのだろう。それでも、僕はもう、彼の自転車屋へ行くことはしないだろう。それは暴言を吐いてしまった後めたさと、空気入れを貸してくれなかったことをいまだに少し根に持ってもいるから、なのである。