ラテン系女子


今回は以前触れた、僕と同時期に語学学校に入学したドミニカ共和国の女の子について書きたいと思う。

 

 語学学校に入学してから数週間後、彼女は僕と同じクラスに入ってきた。どこの語学学校もそうなのかは分からないが、僕の通っている語学学校では毎月新しい生徒が入学するとまずスキルチェックの為、イタリア語の理解度を見極めるテストや面談を行い、それを元にクラス分けされるのが通例となっていた。彼女とは同じクラスになるまではそのスキルチェックの時に顔を合わせた以外は登・下校時や休憩時間にたまに顔を合わせた時にかるく挨拶を交わす程度だった。

 

ドミニカ共和国という国について、僕は大した知識を持っていない。あるとしたら野球が盛んな国で広島カープがよく若い有望株を青田買いしていることくらいだろうか。あとはカリブ海に面した島国で、国民は何となく陽気でマイペース、そして気分屋なイメージがある程度だ。そして彼女もまた、そんなステレオタイプなラテン気質の持ち主だった。

 

彼女は授業中、ほとんどの時間をスマートフォンをいじりながら授業を受けていた。動画を見たりゲームをしたり、友人とWhatsApp(LINEの様なコミュニケーションアプリ)をしながら授業を受けていたので彼女のスマホから授業中に大きな音量が漏れ出ることはしょっちゅうあったし、スマホを見ながら笑いたい時は周りなど気にせずケラケラと笑っていた。不機嫌な時はスマホを操作しながら

「odio(オーディオ)」

とよく呟いていた(嫌い、憎いといった意味で、彼女のニュアンス的には『まったくもう...』といったとこだろうか)。自撮りをしていることもあった。

そしてなぜか彼女は毎日、僕の隣の席で授業を受けた。これはイタリア人女性の多くにも言えることだが、ラテン系の女性は“もっと私を見て!!”とばかりに、露出する部位が多かったり身体のラインを強調した服装を好む人が多い。彼女もまた然りで、目のやり場に困る服装はしょっちゅうだった(見たいとも思わなかったが)。そしてテストの時などは決まって僕の回答を覗いていた。

それから彼女は週に一度は大体、頭痛などの体調不良を理由に授業を欠席した。

 

他の生徒の中には彼女のそうした態度を快く思わない人もいたが、僕も当初は戸惑いこそ少しあったが、僕の回答を覗いてもそれが正解しているとは限らないし(彼女から間違いを指摘されたことも時々あり、その時は『じゃあ見るなよ』とは感じたが)、語学学校に通うモチベーションは人それぞれだと考えていたのでそれほど気にはならなかった。それに彼女から悪意のようなものを僕は全く感じなかった。

 

良く言えば天真爛漫、悪く言えば空気の読めない彼女ではあったが、イタリアでの生活を始めるまでは色々あったらしく、故郷や家族が恋しいことをよく授業中に語っていて、当初はどこか不安げな佇まいで、生活に馴染むまで時間が掛かっている様子だった。慣れない異文化での生活もあったろうが、彼女には息子が一人いるので、息子をドミニカに置いてきたこともそれをより強めたのだろう。前日に電話で家族と話した時は、イタリアとドミニカの時差の関係か、目を真っ赤に充血させながらそのことを嬉々と語っていた。

 

入学から数ヶ月経つと生活に慣れ始め、不安が取り除かれていくのが側からも理解できた。彼女は家を変え、アパートで他の女子生徒と共同で生活を始めたのだが、その生徒とはよほどウマが合ったのだろう。お互い協力し合いながら生活がうまくいっているのが見て取れた。その他の生徒との関係も良く、他の生徒より少し年長ということもあってか、一目置かれるようになった。

彼女が家を変えて間もない頃、彼女は僕に近くのスーパーマーケットの場所を教えて欲しい、と尋ねてきたので僕は彼女に地図を見せながら今の家はどの辺りなのかをまず聞いてみた。すると彼女はフィレンツェの中心部から南下した、アルノ川を越えた辺りを指差したのだが、彼女と一緒に生活している女の子が

「違うよ、この辺だよ」

とドミニカの彼女が指した地点から遠く離れた中心部の辺りを指した。自分が何処に住んでいるのか、いまいち理解できていなかったのだ。そして彼女らの家から近いスーパーを数件教えたのだが、普段スマホを自分の分身の様に手放さずにいるのに、何故かグーグルマップ等は使わず、教えた場所の地図を写真で撮っていた。かなり抜けているところもあったが、その光景は微笑ましかった。

 

語学学校の生徒達や講師らで一度、昼食会があった。彼女は僕の向かいの席に座り、実に楽しそうに過ごしていたのだが、僕はそこで彼女の大きな問題を知った。それは彼女が野菜をまったく食べられないことだった。明らかに野菜が盛り付けられたものだけでなく、トマトソースのパスタすら手をつけない徹底ぶりで

「コースケ、あたしの分も食べて〜」

と、ほとんど彼女の食べられないメニューが僕のもとに来るのだ。メインディッシュが来る頃には僕はすでに満腹で苦しくなり、その光景を彼女はまた実に楽しそうに笑っていた。僕は彼女が週に一度学校を休むほど虚弱なのは、これほどまでに野菜を食べないことに原因があると思っている。

 

そんな彼女ではあったが、意外なほど気を配れる人物でもあった。以前触れたディスコの帰り道、僕達は途中までみんな一緒に帰ったのだが、まだ遊び足りないといった感じの若者たちを余所に僕はへとへとのガス欠状態だった。彼女はそれを察して

「コースケ疲れてるんでしょ?先帰ってもいいよ」

と言ってくれた。僕は多少無理もしていたが

「大丈夫だよ。みんなで一緒に帰ろう」

と返答したが、その気遣いは素直に有難かった。また、別の女子生徒との共同生活時、その女子生徒が部屋の掃除やゴミ捨てなどに非協力的なことをその生徒が帰国するまで周囲に話さず、帰国した後にまた

「odio(オーディオ)」

と呟きながら不満を述べていた時は“意外と日本人的なんだな”とも思った。

 

語学学校を修了する頃になると彼女はすっかり、イタリア語を話せるようになっていた。ドミニカ共和国はスペイン語圏の国で、イタリア語とスペイン語は同じラテン語がルーツなので、きっかけさえ掴めれば上達は速いのだろう。勿論、彼女の努力もあっただろうが。

 

彼女が語学学校を修了した時、僕はすでに働き始め、学校に通う時間帯や曜日が変わったこともあり、学校でお別れの挨拶ができなかったので後日、夕食に誘うことにした。

前述した通り、彼女は野菜が食べられないのでお店をどこにするか悩んだ僕は、冬場のフィレンツェで催されるクリスマス市なら色々な屋台がでるので、その中から選んでもらうことにした。そして案の定と言うべきか、彼女は肉料理の屋台を選んだ。

 

夕食をしながら彼女と色々と会話をした。聞くと彼女はこれからフィレンツェを出てミラノで生活し、仕事もそこで探すとのこと。そして料理が好きなので、コックとして働きたい、と語った。僕は彼女がコックとして働けたら良いな、と思ったが同時にひとつの疑問も浮かんだ。それは“野菜が食べられないコックなどいるのだろうか?”ということだった。

 

夕食を終えた帰り道、途中で一軒のファーストフード店を見つけると彼女は

「あ〜、こっちの方が良かったな〜。今度行こうっと」

と言った。こっちは散々悩んだのに...と思った反面、彼女に悪気が無いのは分かっていた。良かれ悪かれ思ったことを口にするのが彼女らしかった。

彼女を家の近くまで見送り、僕は彼女と握手をしてお別れした。

 

数ヶ月後、彼女の消息が気になってメッセージを送った。すると

「あたし今スペインで生活してるんだ」

と返信が返ってきた。聞くと仕事も見つかり(やはりコックにはなれなかったようだが)、楽しく生活している、とのことだった。既にイタリアにいないことに思わずズッコケそうにもなったが、それもまた彼女らしいな、とも思った。

 

Wattappを時々使うと、彼女が撮った最近の自撮り写真が頻繁にアップされていることに気づく。僕は“面白いヤツだな”と苦笑いまじりに見るのだが、同時に彼女が人生をエンジョイし、自分自身を肯定している様にも映る。僕はあまり自分に自信がない方なので時々、彼女のそうした部分を少しだけ羨ましく思う。