パブ

僕はパブ(酒場)に通うのが好きだ。日本で生活していた頃はお酒を飲みに行くことがそこまで好きだった訳ではなかったが、イタリアでの生活を始めてからよく通うようになった。理由は単純に、サッカー(カルチョ)の試合が観たかったからだ。

毎試合スタジアムに通える程、経済的な余裕は無いし、家にテレビはあるが、衛星放送は見ることができないので、試合を観戦することのできるパブを探し、そこに通うようになった。

 

僕は生活しているフィレンツェの地元チーム(フィオレンティーナ)のファンではなく、ナポリというチームのファンなので、最初の頃はナポリの試合のある日のみ通っていたのだが、通っているうちに店員も僕のことを覚えてくれて、

「今日はナポリ、勝つといいね」

みたいに声を掛けてくれるようになった。僕も悪い気はしないので、ナポリの試合だけでなく、注目度の高い試合やフィオレンティーナの試合がある時にも少しずつ、通うようになっていった。

 

これは多分、イタリアのどの街のパブにも共通するのではないかと思うが、地元のチームの試合がある時は、たとえ同時刻にもっと注目度の高い試合があっても地元チームの試合を優先して放送するはずだ。そして、地元チームの試合放送時とその他では店の雰囲気もガラリと変化する。

フィレンツェにもフィオレンティーナではなくユヴェントス(トリノのチーム)、ミランやインテル(どちらもミラノのチーム)、ローマなど別の街のチームを応援する人は勿論いるのだけど(当然、僕が応援するナポリのファンも)、例えばナポリとユヴェントスの試合を放送している時は店の雰囲気は比較的穏やかで、よりローカルなチームとの試合の時は僕しか試合を観ていないんじゃないか?と感じる時もある。

しかし、地元のチームの試合時は違う。多分、僕と同様の理由でスタジアムではなくパブに通う人も多いのだと思う。地元チームが得点したり、勝利の瞬間はパブの中がスタジアムさながらのムードになる。そうした雰囲気が僕は嫌いではないのだ。

 

その日はフィオレンティーナとミランの試合日だった。試合前に入店し、席に着くなり4〜5人のグループでいた中の1人が僕に声を掛けてきた。

「おいお前、ミランサポーターじゃないだろうな?」

「違うよ。」

と僕は返答した。

多分、フィオレンティーナのサポーターなのだろう。見た感じ、僕と同世代か少し年下の世代の男達で、1人は足を怪我していて、松葉杖をついていた。

 

試合が始まる頃になると店中が人で溢れ、普段はいない立ち見のお客さんも結構いたと思う。スタジアムにいるサポーターのように応援歌を歌ったり、チャントを送るグループもいて、悪くない雰囲気が漂っていた。

 

しかし、そんな雰囲気に反して、ミランがイブラヒモビッチという選手の得点で先制する。パブ中が一瞬、静まり返り、その直後に僕の近くにいた1人の男性が喜び始めた。ミランサポーターなのだろう。

その刹那、

「テメー、ナニ喜んでんだッ!!!」

入店時に僕に声を掛けてきたグループの1人がそのミランサポーターの元へ怒鳴りつけながら向かって行き、殴りかかったのである。ミランサポーターの方も応戦し、更にグループの仲間らもそこに加わり出した。

 

当然、店員達は制止しようとした。その店は僕の知る限り男性3人、女性2人が働いているのだが、その日はあいにく、男性陣うち1人の若いが良く気の回る優秀な兄ちゃんが不在だった。

『俺の好きな場所が今、荒らされようしている...』

そんな気持ちがよぎり、変な使命感が突然芽生え、僕も喧嘩の仲裁に加わることにした。

 

ラグビーのスクラムのように相手を抑えつけたのだが、イタリア人の方がフィジカルが強く何度も振り切られそうになり、それでも無我夢中に僕が制止しているうちに店員の1人の女性が

「いい加減にしなさいッ!!警察呼ぶわよ!!!」

その声でようやく、喧嘩は収まったのだった。そしてふと冷静になった時、僕が抑えつけていたのが松葉杖をした男だと知ったのだった。

 

『俺は怪我人相手にあんなに必死になっていたのか...』

急にそんな虚しさに苛まれ、しょんぼりしながら自分の席に戻り、試合に目を向けると、何故かスコアが“1ー0”ではなく“0−0”であることに気が付いた。ちょっとした興奮状態でもあったので、見間違いかとも思ったが、やはり“0−0”なのである。

「すみません、なんで0−0なんですか?」

近くで観戦していたお客さんにそう尋ねると

「得点の直前にイブラヒモビッチがハンドをしてて、ゴールが取り消しになったんだよ」

 

それを聞いた瞬間、僕はせっかくだからこの一連の出来事も取り消しになってくれないものか、と思った。

 

(お店の名誉の為に補足すると、後に制止をしたことのお礼は言ってもらいました。念の為)